中国四川省の大地震の影響
丸川知雄
(2008年5月14日11:00記す)
経緯:
2008年5月12日14時28分に、四川省アバ州汶川県を震源地とするマグニチュード7.8の大地震が発生した。死者の数は13日19:00時点で四川省だけで12012人、9404人が瓦礫の下に埋もれ,7841人が失踪と伝えられている。救援の手が及んでいない地域も少なくなく、死者の数はさらに増えると見られる。
地理的特徴:
発生した汶川県は省都の成都市から100㎞ほどしか離れていない。成都の周辺の都江堰までは平坦な地形(四川盆地)であるのに対して、都江堰から西は一転して急峻な崖や険しい高山に囲まれた地形になる。震源地はチベットから連なる高原の東端に当たる場所であり、チベット族が住む地域でもある。筆者は二度この地域を通って、西の小金県に行ったことがあるが、普段でも雨が降ると崖崩れにより道路が寸断されることが多い。しかもここは成都から人気観光地の九塞溝・黄龍に向かう道路でもあるため、ふだんは渋滞が常態化している。
被害地域と民族問題:
これまで多くの被害が報告されているのは、震源地の汶川県に近い四川盆地の西端にあたる地域である。北川県では6000人ほどが死亡または行方不明と報告されており、綿竹市でも数千人が死亡したか埋もれていると記者が報告している。同市では中学校が倒壊し、200人以上の生徒らが埋もれており、掘り出されたのはまだ4名で生存者はうち1名という悲惨なニュースを記者が伝えている。また都江堰市で中学校が倒壊し900名の生徒らが埋もれているという。これらの地域はいずれも人口密度が高い四川盆地のへりにある。
一方、高原のアバ州、とりわけ震源地の汶川県は、途中で道路が寸断されており、救援部隊がなかなか近寄れないできた。13日23時にようやく武装警察の第一陣が汶川県の中心部に徒歩で到達した。そこでは500人の死亡が確認された。県の他の郷鎮の被害がより大きいと見られているが、状況は明らかではない。通信も途絶えているため13日時点で汶川県では6万人の住民が安否不明であった。その後、県中心部に住む3万人が避難所にいることが確認されたという情報もある。
アバ州は四川盆地と異なり、人口密度は低い。この地域は漢民族とチベット族、チャン族が混住しており、チベット族は衣服や食事などでは民族色を出しているが、言語面では漢族と同化が進んでいて、中国語を日常言語としている。アバ州の少ない人口の多くは谷間の町に住んでいるが、チベット族は標高3000メートル以上の高地に住むことが多い。これまで被害が報告されている盆地に比べ、道路状況の悪い高原地域には救援の手が及びにくい。とりわけ高地に散在するチベット族のところには自動車で行けない地域も少なくなく、被害の状況が把握されるのにさえ時間がかかりそうである。
アバ州ではチベット族の漢族への同化が進んでいるとはいえ、3月のチベット暴動の折にはアバ州でも暴動が起こり、民族紛争の火種はある。いまは被災者の救援に向けて力を合わせて取り組むべき時だが、チベット族の住む場所にまで救援が届くのは相当時間がかかることが予想され、それが3月の暴動以来のチベット族の不満を再びかき立てる恐れがある。
中国マスメディアの対応:
地震発生以来、中国のマスメディアは地震の被害情報を詳しく伝えており、状況の全体像がまだ十分把握できない段階から、記者の観察に基づく記事もそのまま伝えている。2003年のSARS発生の初期に事態を隠蔽して被害を拡大した教訓を汲み、今回は記者の目に映ったままの現状を報告することとしたようである。また、「北京で大きな余震がある」といったデマも現地では流れたようだが、そうしたデマを否定する対応も速かった。ただ、地震から時間が経つにつれて、救援の不足や遅れなど政府の対応を批判する声も出てくる可能性がある。また、上記で述べたチベット族の不満などの動きも出てくることが予想される。そうした地震後の対応まで含め、マスメディアが政府を監視し、よりよい救済をもたらすために役立つことができるか、今後が問われる。
北京オリンピックへの影響:
チベット族の暴動、西側各国での聖火リレーへの妨害、それに対する中国人の反発とデモを経て、西側への反感を含んだ異様な愛国主義の高揚のなかで北京オリンピックを迎える可能性があった。しかし、四川大震災が起きたことで、中国選手は喪章をつけて競技に臨むだろうし、オリンピックでの熱狂的応援を自粛する動きに向かうものと予想される。また、欧米や日本などからの救援物資やボランティアも駆けつけることになれば、聖火リレー妨害で高まった欧米への反感がやわらぐ可能性もある。
しかし、大震災で中国が弱っているスキを突くような形で、欧米等がチベット問題を再び刺激するような言動をとれば、中国人の反発はいよいよ抑制がつかない状況に高まり、北京オリンピックに対して破滅的な影響が及ぶ可能性がある。友好の祭典であるはずのオリンピックが、中国が世界と対峙する場になる恐れさえある。チベット族の住む地域で起きた大震災であるだけに、民族間の問題は暫時棚上げにする配慮を双方に求めたい。
政治への影響:
温家宝総理が地震発生当日に災害地に向かったことは胡錦涛・温家宝政権の「親民路線」を印象づけた。また胡、温の両方が現地に向かえばスタンドプレーに見えたところだが、温家宝だけが向かったことは政権の安定ぶりを印象づけた。SARS発生の時には、情報公開への対応を巡って江沢民系と胡錦涛系の政争があったとされるが、今回の大震災が政争の引き金になる形勢は今のところは見えない。
ただ、震災が一段落して、マスメディアの報道の方向が、被害が大きくなった原因を探り出したとき、建築の脆弱さが必ず話題に上ることになろう。その過程で公共工事を巡る腐敗が暴かれるといった事態も想像される。数百名の中学生が学校の下敷きになった事件は余りに悲惨で、これが単なる天災であったということで親たちが納得するとは思えず、責任追及の矛先が建設業者や政府に向かう可能性がある。
経済への影響:
地震によって大きな被害を受けたなかに二つの化学工場と、東方汽輪機廠という発電タービンの工場があったことが伝えられている。だが、もともと国営企業の経営不振が続いていた四川省北部地域なので、工場倒壊によって中国経済全体に重大なダメージが与えられるとは思えない。また、成都近郊に立地するトヨタの工場でも生産を停止する被害があったが、これは数日の停止のあとには回復できそうである。農業に関しても、重大な被害が生じているのは四川盆地のへりであるため、全体として大きな影響が出るとは思えない。
一方、復興のためにはかなりの財政支出が必要となり、これは総需要の増大をもたらすことでインフレを刺激する要因にはなりうる。ただ、短期的には1月の大雪ほどのインフレ拡大要因にはならないと見られる。
もっとも、単に復興するための投資だけでなく、これまで地震のリスクを考えずに建築が行われてきたことに全国的な反省の意識が高まり、脆弱な建築の補強工事や立て替えといった動きになれば、建設投資が中期的にも拡大していくだろう。
四川大震災は1976年の唐山大地震以来の大規模な被害をもたらす地震であった。文化大革命の最終年にあった唐山大地震の時と異なり、言論の環境も多少なりとも自由度が増しているため、被害の原因究明がさまざまな角度から行われるだろう。成長優先主義から安全の確保に対する問題意識が高まることとなり、量的拡大から質的向上への転換がますます押し進めることになろう。
我が国の対応:
5月の胡錦涛国家主席訪日は、日中の戦略的互恵関係を確認する共同声明や東シナ海資源開発での協力などを確認するなど成功に終わった。ただ、年初の毒ギョーザ事件やチベット問題などによって日本国民の反中感情が高まっているなかでの訪日であったため、NHKの世論調査に見る限り、訪日が応分の評価を得たとは言えず、むしろ、残念なことに福田政権の不人気を加速させたかのようにも見える。
ただ、外交はその時々の国民感情に左右されることなく、日本の長期的国益を考えて進めるべきものであり、「雪解け」を迎えた日中関係の状態を基本的には今後とも維持していくべきだと考える。
対日本国民ではともかく、対中国では、長野での聖火リレーを日本の警察当局の努力もあって無事に完遂したこと、そして胡錦涛訪日も無事終えたことで、日本は中国に対しては欧米に比べて相対的に「ポイントを稼いだ」状況にある。四川大震災に対して物資の援助、ボランティアの派遣などの手を差し伸べることは、ますます中国の対日感情を改善するだろう。
また、四川省には約170社の日系企業が進出しており、日本からの観光客も数多く訪れており、今回はたまたま日本人が被害にあったことは報告されていないものの、日本とは縁の深いところであることにも配慮する必要がある。