Gregory Noble 第2回

アジアのナショナリズムと日本

伝統的にはnationは自然発生的なものと見られてきた。
People, nation, country, stateの関係は連続線上にあり、境界は曖昧だ。

韓国で嫌いな国は?と聞くと、圧倒的に日本だ。中国でもたぶん日本だ。東南アジアはそれほど反日ではない。マハティール首相の「Look east」は日本に学ぼうという路線だ。タイでは1974-75年頃にはJaps go homeというスローガンが見られたが、今は親日的である。台湾も親日と言われている。中国は日本に対して普通だったのが最近は反日感情が強くなってきた。

日本の右派ジャーナリズムは、中国というnationは幻想だ、中国は当然分裂すべきだと喧伝している。しかし、中国の「漢民族」のethnicityはある程度のまとまりがある。ethinic groupが国家を持つのが自然だという考えもあるが、例えばヨーロッパでは王室間の通婚が一般的であるし、スイスのように複数のethnic groupがまとまっているケースもある。アメリカでethinicityへの関心が高まったが、曖昧なところが多い。
Karl Deutchはナショナリズムはsocial communicationだという注目すべき説を出した。様々な部族に分かれていたインドをイギリスが植民地化し、英語を伝えると、グループ間でのコミュニケーションが活発化、そして一番人数の多いヒンズーからナショナリズムが発生した。ナショナリズムの担い手は上中流の教育ある男性であるが、彼らエリート層が自分たちのためのコミュニティを主張しても運動にはならない。そこで「インド全体」という「想像の共同体」を作り出す。これは「神話」であるとか「理念型」であるとか言われるが、現実的根拠を欠いた全くの「想像」というわけではない。この点について、学界においても自民族の「想像の共同体」は根拠ある、他民族の「想像の共同体」は根拠なき幻想、と主張する人がいるのは困ったことだ。
孫文は革命に際して、主流は漢族だが5民族から構成される中国というまとまりを考えた。支配民族としての満州族というシンボルを作ったが、満州族というのは実は境界がはっきりしない。
最近、「高句麗の遺跡」を巡る中国・韓国の摩擦が起きた。中国が高句麗を歴史的に中国の一部としたことに韓国が猛反発したものだが、高句麗が中国の文明との深い交流のなかから生まれてきたことを考えると、中国側の見方に根拠がないわけではない。
日本では戦後は単一民族神話ができたが、戦前は韓国人、台湾人を日本人にするかしないか二つの路線があった。
東南アジアはもともと欧米に植民地化され、日本は独立をもたらすといいつつ大戦末期にはかなりの圧迫を加えた。日本に対する不満が70年代まではあったが、各国が確立すると対日関係を悪化させる必要がなくなった。しかし、日本が侵略したこと自体を忘れたわけではない。韓国でも自国に対する自信ができてきたことによって過去のことをことさらに蒸し返す必要がなくなった。しかし、日本の植民地化を肯定したわけではない。
台湾では、中国への反発から、「台湾はもともと原住民の島で、中国との関係より日本との関係の方が深かった」という説が流行しているが、これはウソである。原住民は人口の2%にすぎず、今の台湾を代表する存在ではない。実際には、日本の敗戦によって中国に戻ったことを、当時の台湾の人たちの大多数は歓迎した。2・28事件の被害者、土地改革によって零落した地主などが、国民党政権への反発から「日本統治時代の方が良かった」といっているが、例えば1944ー45年には台湾のコメの半分は日本に徴収されたのに対して、45-46年には大陸にコメをそんなにとられるということがなかったということが示すように、日本統治時代の方が良かったとは一概に言えない。いま政治情勢のなかで、台湾では歴史が歪曲されている。
日本の人が台湾にいくと、老人は日本語を話せるし、若い世代は日本の流行に詳しく、従って台湾人は日本好きという結論を出してしまうが、これはselection biasである。限られた時間と言語能力では間違った認識を形成する。
Nationの形成は、伝統が規定しているというのは誤りだし、発展によって一方向に向かうというのも違う。「政治的対立の流動的な産物」だと見るべきである。香港と台湾はいずれも中国への反発は強い。しかし香港では不満があるが独立するとは言わない。台湾では15年前に「あなたは何人?」と聞かれれば、多数は「1中国人」、次が「2中国人かつ台湾人」、次が「3台湾人」だったが、今は2が多くなり、1は急減、3が増加している。Nationの意識は、国民党と民進党の闘争のなかで変化している。
靖国参拝の問題に関して、1無責任派(中国が反発するならやめた方がいい)、2原則派(A級戦犯合祀をやめるべき)、3無視派(中国は国内の不満のはけ口として文句を言っているのだから、気にせずに参拝を続けるべき)の3派が出てきている。今は1と3の対立になってしまっている。
(記録・丸川知雄)

感想(丸川):今を去ること20年、大学3年の頃だったか、白石隆先生の駒場での授業でベネディクト・アンダーソン”Imagined Community"(当時は翻訳がまだなかった)を読んで以来、ナショナリズムの問題はずっと気になっております。当時は授業に出るまでベネディクト・アンダーソンの説は耳にしたことはありませんでしたが、今や「想像の共同体」論はすっかり定着したようです。しかし、その割に民族や国家を相対化する視点が一般化するどころか、日本・中国・韓国・北朝鮮・台湾では、ナショナリズムがますます強まっています。自国の幻想性は不問に付したまま、人様の国を「幻想の共同体」とあげつらうなど、「想像の共同体」論を悪用する人も出てきているとは! 高句麗を巡る中韓の争いなど、「現在の国家枠組みを過去に投影する」典型例です。ナショナリズムによって歴史(研究)が歪められ、ひょっとして史料の捏造まで起こりうるのではないかと思うとゾッとします。東アジアでは、国際関係に関わる歴史研究は専門家だけがやるべきものとし、専門家になるには資格試験を設けて、「ナショナリストではないこと」を証明できた人だけが専門家になれる、としたらいいのではないでしょうか!?