1000億ドルを超えた中国の貿易黒字

(本論文は『東亜』2006年3月号に寄稿したものに一部加筆を行ったもの)
2006年2月14日 丸川知雄

 2005年の中国の貿易黒字は前年の3倍以上に拡大し、1019億ドルという史上最高額に達した。米国など先進国からは中国の人民元切り上げを求める声が再び強まることは必至である。だが、貿易黒字の拡大の背景には中国の産業構造の変化がある。今後、人民元のさらなる切り上げが見込まれるが、貿易の黒字傾向は変わらないだろう。

 

 2005年に中国の貿易黒字が1000億ドルを突破したことはいろいろな意味で驚きであった。まず黒字の大きさである。これまで中国の貿易黒字は1998年に435億ドルになったのが最高で、2000年以降は輸出が30%伸びれば輸入も30%伸びるというように輸出入がほぼ平行した伸びを示してきたため、貿易黒字は200300億ドルのあたりをうろうろしてきた。ところが、2005年は輸出が28.4%伸びたのに対して輸入の伸びは17.6%にとどまり、黒字幅が一気に1000億ドルを突破した。

 第二の驚きは、2005年は中国経済が「景気過熱」とか「バブル」とまで呼ばれたのに貿易黒字が拡大したことである。これまでは景気が過熱した年はいつも貿易赤字になった。

 第三の驚きは、人民元が切り上げられたのにも関わらず貿易黒字が拡大したことである。20057月に中国は10年間にわたって1ドル=8.28元に固定していた為替レートを8.11元に切り上げた。もとより2%ほどのわずかな切り上げでは貿易収支に大きな影響があると思われていなかったとはいえ、貿易黒字がかえって大幅に拡大するとは誰も予想していなかったのではないか。

 こうした「予想外」の貿易黒字拡大は我々の中国の貿易構造に対する見方の修正を迫っている。これまでの中国の貿易に対するイメージは外資系企業による加工貿易が中心であるというものであった。加工貿易とは、部品・材料を輸入して、中国国内で加工し輸出するという貿易を指し、そのための輸入は保税扱いとなる代わりに国内への転売は禁止される。中国の輸出のうち加工貿易による輸出がここ10年間は55%前後を占めており、その割合は今でも高いが、その中身が変化してきている。

 まず、加工貿易の輸出と輸入の差が拡大している。10年前には加工貿易輸出1に対して加工貿易輸入は0.8程度であったのが、2005年には同輸出1に対して同輸入は0.66にとどまった。これは、部品・材料をすべて輸入して中国では単純な加工・組立作業だけ行って製品はすべて輸出するという過去の加工貿易のイメージとは違って、中国国内で部品や材料がかなり生産されるようになり、中国国内での付加価値が大きくなっていることを示唆する。しかも、加工貿易を行っている企業へ行くと、例えば蘇州のパソコン工場が広東で生産された部品を調達するとき、その部品は広東の工場からいったん香港に輸出され、蘇州の工場はそれを香港から輸入する、というケースをよく耳にする。つまり、加工貿易により付加価値は上記の数字が示唆するよりもさらに大きい可能性がある。

 中国のかつての加工貿易のように、部品・材料があらかた輸入されていた時代は、仮に人民元の対ドルレートが上昇したとしても、輸出が不利になる効果は、部品の輸入価格の下落効果によってかなりの程度相殺されるため、影響は小さいと言われていた。この理屈に従えば、逆に中国での付加価値が拡大すると、人民元上昇が輸出産業に与える打撃はより大きいことになる。

 2005年のアメリカの貿易赤字は過去最大となり、なかでも対中赤字が2000億ドルを突破した。米議会では「中国たたき」が激しくなっており、人民元切り上げに対する圧力が再び高まっている。おそらく2006年中に中国は再び人民元の切り上げ(というよりも変動幅拡大)に踏み切らざるをえなくなるのではないか。

 だが、人民元の上昇は中国の貿易黒字を減らすどころかかえって増やすことになる、と筆者は予測する。かつて197778年や8586年に急激な円高が進行したとき、日本の貿易黒字がかえって拡大した。この現象は企業や消費者が通貨価値の変化にすぐには反応しないことから起きる「Jカーブ効果」だと分析された(小宮隆太郎・須田美矢子『現代国際金融論[理論編]』日本経済新聞社、1983年)。おそらく今後中国でもJカーブ効果のような現象が見られるだろう。それは今の中国の産業構造が85年当時の日本に若干似てきているからだ。

 当時の日本は、原料、食料、燃料が輸入の7割を占め、輸出では機械機器が7割を占めていた。一次産品と自動車などの最終製品の中間をつなぐ産業はすべて日本国内に揃っており、いわゆるフルセット型の産業構造を備えていた。こうした産業構造のもとでは国内での付加価値が大きいので、円高による打撃は大きい。しかし最終製品を生産する産業は国内の投入財産業と密接な関係を持っているため、円高になったと言ってもそう簡単には海外に生産拠点を移すことができない。とりわけ広範な部品産業、素材産業に支えられる自動車産業はそうである。海外で競争力のある車を作るためには、組立工場を建てるだけではだめで、熟練工も育てなければならないし、周りに主要部品のサプライヤーを集める必要がある。そのため、海外生産が軌道に乗るまでには少なくとも5年はかかる。それまでは、円高でも日本からの輸出を続けるしかない。

 日本の自動車産業がアメリカとの貿易摩擦のなかで1980年代半ばに北米での生産を開始してからの経緯をみてみよう(下図)。1985年時点では日本からの輸出が9割、北米での現地生産が1割という比率だったのを約10年かけて輸出3割、現地生産7割という比率に転換したことがわかる。北米への輸出から現地生産に日本の自動車メーカーが方針を切り替えるきっかけを与えた円高は86年までに進行したが、輸出から現地生産に実際に切り替わるのは90年代に入ってからである。その間に8990年にはいったん円安に振れているが、日本の自動車メーカーはここで日本からの輸出に再び切り替えるということをせず、現地生産の拡大をかえって加速している。輸出3割、現地生産7割という比率になったのは1995年で、その後為替レートは98年までは円が下落し、99年以降は再び円高へ向かったが、輸出の比率は19992000年に38%まで上昇したあと再び下落しており、為替の動きと12年ずれている。

 このように自動車産業の場合には、為替の長期的な趨勢には対応しているといっていいが、海外生産をゼロからスタートするには5年は優にかかる。その間、自国通貨上昇の影響は、一部は販売先での価格を引き上げによって、また一部は日本国内での生産コスト引き下げによって吸収せざるを得ない。幸いにも自動車のような複雑な製品の場合、材料や設計の見直し、工程の改善などによってコストを引き下げる余地がある。こうして通貨高は輸出の減少をもたらすどころかかえって生産性の向上を引き起こしたため、単なる反応の遅れによるJカーブ効果だけでは説明できない貿易黒字拡大をもたらした。

 現在の中国は1985年の日本ほどのフルセット型産業構造をしているわけではない。2005年に衣服を抜いて最大の輸出品目となったコンピュータ及びコンピュータ部品にしても、その裏では大量のICや液晶パネルの輸入をもたらしている。しかし、部品産業や素材産業の厚みが徐々に増してきたことも事実である。すでにノートパソコンについては長江デルタ地域でたいがいの部品が供給できるようになった。

 さらに、これまで完全に輸入に頼っていた高級乗用車の外板に使う亜鉛メッキ鋼板までもがティッセンクルップ、新日鉄、JFEスチールの進出によって国産化される見通しとなった。亜鉛メッキ鋼板の工場は、従業員1人あたり投資額1億5000万円ときわめて資本集約的だが、こんな産業まで中国に進出したとなっては、今後仮に人民元が相当上昇し、また関税が大幅に引き下げられたとしても、自動車が国内生産から輸入にスイッチされるということは限定的にしか起きないだろう。

 広範な部品産業や規模の経済効果の大きい素材産業が中国に根を下ろしたとき、人民元が上昇しても輸出産業は簡単に中国を離れないだろうし、自動車のような内需向け産業も簡単に輸入品に負けたりはしなくなる。2005年は中国の産業構造の転換点として記憶される年になるだろう。

 

図 日本の自動車メーカーの北米向け輸出と北米での現地生産 (単位:左目盛は台数、右目盛は円ドルレート)

(出所)自工会ホームページ、自動車産業ハンドブック