巨大機械工業(股)

1996年9月13日 

 

企業紹介のVTR

 1972年に創業。クロムモリブデン車を開発。カーボン車を開発。台湾に300の専門店網。世界に販売拠点を設置 などなど。

 

製品・生産:

 国別に製品構成を変えている。全体で見るとマウンテンバイクが全世界で売っており,当社の売上げの70%を占めている。伝統的なシティバイク,レーシングバイクはヨーロッパ中心,日本向けは軽快車が多い。

 生産台数ベースで90%前後が輸出で,10%が台湾島内。金額ベースでは94%が輸出。ここ10年ほどこの比率で進んでいる。

 輸出部分については,45%がODMっで55%が自社ブランド。自社ブランド部分の最大の市場はヨーロッパで30%をしめる。欧州,豪州,カナダは自社ブランド。輸出全体で言えばアメリカが最大の市場。

ODMの3分の2がアメリカ向け,3分の1が日本向けである。

 アメリカではTrek, SpecializeなどからODMの発注を受けている。

 日本ではミヤタ,ホダカから発注を受けている。

 アメリカ,欧州,そして日本のミヤタブランドのものはディーラーマーケット(自転車専門店)で売られている。日本のホダカブランドは量販店で売られるものである。ミヤタとは3年,ホダカとは5年ぐらいの関係。ホダカブランドで売られるものは中国大陸に生産をかなり移転している。

 ODMは基本的に自社で開発し,プロトタイプを発注元に提出して,発注元がそれに対していろいろ注文を出すという形をとる。

 自社ブランドについてはヨーロッパなどに自社の100%出資による販売会社をオランダ,フランス,ドイツ,イタリアに設立して,ディーラーへの販売を組織している。

 日本向けも横浜にGiant Japanを設立し,横浜,名古屋,大阪に中継倉庫をおいてそこから全国のディーラーに配送している。

 低位機種の生産は大陸に移すつもり。その結果,台湾工場で生産される自転車の単価は16%上昇する。生産台数は台湾工場が95年145万台,96年125万台,

 オランダに工場を建設中で,1997年5月に完成予定。規模は50万台。最初の年は10万台作ってその後だんだん拡大。

 中国工場は100%出資によるもの。政治的理由からシンガポールの持株会社を通じて投資している。大陸では生産した自転車の半分を中国国内に売る。また日本向けの軽快車を作っている。大陸向けは実用車。当初はMTBを作る予定だったが,大陸市場はまだそこまで成熟していない。中国向けの50%は当初は変速機付きだったが,今年は20%に落とした。しかし単速車でも中国の一般製品より30%増しで売っている。当社としては低級品だが,中国では高級品だ。

 オランダ工場ではヨーロッパ向けのMTB,ツーリングバイクなどを作る。台湾自転車企業は低賃金労働を利用するために大陸に投資するケースが多いが,当社の海外投資の目的は市場の開拓である。大陸への投資も昆山に立地したことからわかるように大陸市場が目当てである。ヨーロッパにアジアから輸出するには17%の関税がかかるし,輸送費も嵩む。またヨーロッパ市場に関する予測がアジアからだとはずれることも多い。ヨーロッパの新しいニーズを発見してもアジアから製品が届く頃には最も好景気の時期が過ぎている。市場への反応を速くするためにヨーロッパに工場を設立した。

 台湾の自転車産業は1996年上半期に輸出数量が3.2%増えたが金額は6%減少した。中高級車の不調。当社の上半期の輸出台数は30%減少した。金額ベースでは23%下がった。需要が不景気により低位機種にシフトした。

 欧州市場は需要が年1300-1400万台だが,当社は35万台ぐらい欧州でうっている。シェアは小さいがオランダでは1位,ドイツでは輸入車の1位。

 当社は自社ブランド,ODMの両方を今後も行いたい。一つには中国工場をあわせて200万台もの生産能力があるので,自社ブランドだけでは稼働率が上がらないということもあるが,それに加えてODMをやることで自社だけでは得られない市場動向を知ることができるというメリットもある。当社がODMで作っているtrekはアメリカで1位のブランドだが,他方,アメリカでGiantは売れない。同じ会社が作っているものなのにどうしてこんなに差が出るのか。ブランドイメージや販売ルートの力の違いといった要素が働いている。

 当社は1972年の創立以来OEMを行っている。最初はアメリカの様々な小企業からOEMを受けていた。1977~78年にSchwinnOEMを始めた。最初は設計能力は全然なかったが,OEMを通じて開発設計能力を発注元から吸収した。Schwinnとの取引は我が社の発展に大きな意味をもった。最大時には生産の80%をSchwinnに供給していた。Schwinnとは77年以前から若干のつきあいがあった。Schwinnはアメリカに4つの工場があって,当初は台湾に興味をもっていなかった。77年に当社社長がアメリカに行って売り込んだ。Schwinn側は会おうとはしなかったが,30分でいいからといってあってもらった。台湾企業は品質を重視しないというイメージを破るために,品質を重視すると訴えた。Schwinnの副社長が日本に展示会できたときについでに台湾によってもらって,工場に招き精一杯当社のよいところをアピールした。その結果,Schwinntry orderして,最初はブランドを傷つけないために別のブランドで売った。その結果は双方満足行くものだった。Schwinnはその後シカゴ工場でストに見舞われ,生産が順調でなくなった。それ以降,Schwinnは工場を一つ一つ閉めていって日本,台湾にOEM発注するようになった。当社は最初は別の場所に工場を持っていたが,ここの工場はSchwinnのためにたてた。Schwinnのために生産を急速に拡大していったが,部品メーカーもそれに協力してくれた。台湾の自転車輸出は10万台から1000万台に急拡大したが,その際に部品工業の急発展したのである。

 1981年に国内販売を開始し,その時から自社ブランドを使い始めた。国内販売は販売会社を通じて行う。このから自主設計も始めた。86年にオランダに販売会社を作って,この時から自社ブランドによる輸出を始めた。

 カーボン車は自分たちで開発した。

 

部品調達:

 当社は基本的には組立メーカー。部品はフレーム,前フォーク,後フォークを内省するのみである。他は国内外の部品メーカーから購入している。部品の50%は台湾から,他の50%は輸入。輸入の内80%は日本からで,シマノの変速機,鋼管またはカーボン繊維の布や糸,ナット,クロムモリブデンパイプなどを日本から輸入。アメリカからはMTBのショックアブソーバー,ヨーロッパからはリムを輸入している。

 部品の設計は一般には部品メーカーが行うが,当社から技術的な要求は出す。部品の規格は国際的に統一されているので,当社に特殊な部品規格はあまりない。フリーホイールも大部分台湾,日本からは高級品用のものを入れている。ブレーキは大部分台湾で一部シマノから。

 製品の差別化は,フレームの設計や強度,部品をどう組み合わせて乗り心地がよく,コストも低くするか,色彩や造形などにおいて差を出す。

 工研院と変速機開発で協力したことはあるが今やしていない。台湾の変速機も使える限り使っていきたい。変速機については台湾の川飛(世界2位)のものも使っているが,高級車はシマノを使う。シマノのものは高級車向きで市場のターゲットが違っている。またOEMを発注する会社からシマノを仕えという要求があることもある。

 中国工場では大部分台湾部品企業が中国に設立した企業から調達している。一部は輸入し,また一部は中国の国有企業から買っている。台湾の部品メーカーはセットメーカーよりも先に中国に進出した。当社は中国への進出が最も遅れた。中国の改革開放政策の行方を見極めたからだ。台湾の自転車メーカーは一般には輸出を考えて進出するので広東に集中したが,当社は国内市場を狙っているので昆山に進出した。

 かつて中国からヨーロッパへの輸出は17%の関税がいらなかったが,今は関税のみならず30%のアンチダンピング課徴金がかかるので不利。

 

 当社の製造コストの70%を部品購入費が占めている。取り引きしている部品メーカーは重要なものが100社,全部で200社ぐらい。

 

 工場見学:

クロムモリブデン車の場合は,日本・台湾から買ったパイプを切って,穴をあけたりしたのち,溶接。溶接面が余り盛り上がらないような溶接がなされている。カーボン繊維車は,カーボンの糸ないし布を買ってきて,20層ぐらい重ねてパイプを作る。それを接着剤で接着してやきいれを行う。カーボンフレームは軽いが強度は強い。アルミ車は溶接面がかなり盛り上がる。コンピュータ制御による自動倉庫システムが導入されており,日本の「大福」の設計によると書かれてあった。フォーク,フレームはある程度数がまとまると塗装,組立に送られるので仕掛品が若干あった。

 カーボン車のライン1本,アルミ車1本,クロムモリブデン車2本という構成のようだ。

 組立ライン:リムに手でスポークを差し込んで機械で丸くしていた。この工程は女性が多い。その後,最終アセンブリに入り,サドルなどをつけない状態で箱に詰められる。

 

 部品メーカーのうちブレーキやペダルのメーカーはさらに下請けを使っている。自転車の業界団体は車両同業公会があり,自動車,自転車,バイクのメーカーが入っている。最初は自転車公会だったが,あとからバイクが入って交通機器公会になって,さらに自動車がはいった。自転車専用の公会が必要だったが団体設立に規制があるので,自転車のアセンブリメーカー,部品メーカー,輸出商社を集めた自転車輸出公会を作り,これは台北にあって300社が参加,巨大の社長が会長を務める。

 台湾の自転車生産台数は工業局の統計は各社が正確に報告しないので正確ではない。一方輸出統計は税関が正確に把握している。国内販売は60~70万台というのが業界の常識である。輸出906万台なので,両者の合計が国内生産台数ということになる。

 

 社長は最初は自転車メーカーにいた。最初資本金400万元でスタート。10人の株主で,3人は同じ家族,残りは友達。4~5年めに倒産しそうになったが,その時は親戚,友人から金を借り集めた。企業が大きくなったら銀行からも金を借りられるようになった。

 製造コストは材料コストが70%,賃金コスト6%,残りが24%。材料コストの半分は輸入でその大部分はシマノから。従って,製造コストの33~34%をシマノに払っていることになる。また営業額の23~24%をシマノに払っていることになる。当社はシマノの最大の顧客。